今週のお題「鬼」
はじめに
私は現在、二十代を折り返した地点にいますが、今になって昔父親に注意されたり叩き込まれた末に体得した習慣が、いかに生きていく上で大切なのかを思い知らされています。子供の頃は「なぜ怒られているのか」「本当に自分が悪いのか」色々な事が自分では理解できない時期、そんな時は親がどんな反応をするのか、何を教えてくれたのかを一番覚えています。今回は「鬼」というお題を頂いたので、子供の頃正真正銘の鬼に見えていた「父親」が子供のために鬼になってくれた瞬間、今になって凄くためになっている習慣を将来の自分のためにもまとめてみました。
本記事の内容
上記の通り、私が今「身に着けておいて良かった」と思う習慣を取り上げ、自分がもし父親になったときにどんなことを教えておくと良いかをまとめてみます。お父様世代はもちろん、同年代の方々も、これから父親になる方々も、軽く、息抜き程度にサラッと見て頂けて、ほんわか出来るような記事になれば嬉しいです。
感謝してるぞ鬼父ちゃん
鬼父ちゃん❶ 遅刻したらゲームボーイ壊すぞ父ちゃん
あの瞬間は今でも覚えています。私の誕生日に買ってもらったゲームボーイで毎晩寝る前に父親とポケモン「銀」を進めるのが当時の習慣でした。ウソッキーを居合切りでたたいてバトルしたり、おそらく銀はバッチが16個あった記憶がありまして、ルギアと70レベルのホウオウと出会う事が出来たような記憶があります。記憶に残るくらい毎日ポケモンにはまっていた時期に到来した鬼です。
時期は覚えておりませんが、学校で行われた三者面談に父親が参加してくれ担当の先生とお話をしました。そこで詳細まで覚えていませんが、何かの時間に間に合わなかった話をしたのです。その時はいつも通りの父親で何も変わりなく話をしていたような記憶があります。
ただ家に帰って一変。やりたい事やって、やらなきゃいけないことをやらない人は、やりたいことをする権利はないという事でゲームボーイを取り上げられた記憶があります。それからいつかのタイミングからまた一緒にやり始めた記憶はありますが、この経験から私は「遅刻は良くない事なんだ」という事を学びました。
鬼父ちゃん❷ 音を立てて食べたらテレビドラマ消すぞ父ちゃん
基本家族で夜ご飯を食べる事が多かった家庭ですが、食事中のマナーにはうるさかった記憶があります。中でも食べ物が口に入っている状態で話すことをだいぶしつけられました。そのような事をしようものなら、皆で見ているテレビドラマを消して、その日はテレビが見れなかった記憶があります。そのような経験から、「食べ物を口に入れて人と話してはいけないんだ」という事を学びました。
鬼父ちゃん❸ 楽を選ぶならスポーツやらせないぞ父ちゃん
私は競泳出身なのですが、その競泳を始める際の出来事です。元々スイミングスクールに通っていた私に、当時の担当コーチから選手コースへのランクアップを提案して頂きました。またその選手コースにも2種類ありまして、”強いクラス”と”中堅のクラス”です。そこで私は最初”中堅のクラス”を選びました。”強いクラス”には年上の先輩が沢山いて、ガタイも大きく怖さを覚えています。
それを父親に相談した際は、速攻で一言「だったらやらない方が良い」と一蹴りされたような記憶があります。どうせやるなら”強いクラス”にしなさい、と。理由まで説明された記憶がありませんので、おそらくそのやり取りだけです。
この経験は後になってようやく感謝に変わっており、今現在は人よりも肺活量や体力が多く、日常生活に水泳を取り入れやすく、大きな大会に出たり強い仲間と出会えたり、何より高い基準で何かを続ける事が他にも汎用出来る事を知ったり、全てにおいて”強いチーム”に入ったからこそ得られた経験だと今になって実感しています。
鬼父ちゃん❹ 嘘ついたら物置に閉じ込めるぞ父ちゃん
これは非常に覚えています。実家には”鬼の部屋”(本当にそう呼んでいました)という、暗く、怖い部屋がありました。(※普通の収納です(笑)掃除機とかをしまうところで少し大きめに作られていました。)
私が成績表を学校から貰った事を隠して「まだもらってない」と言い続けるという事をしたときです。今考えれば、通信簿が出ないことは普通無く、ママ友を通じて両親の耳に入っていたことは間違いありません。ただ当時の自分は必死に隠しているつもりでした。
その後どこかのタイミングで通信簿の話になり「まだもらってない」と伝えた後に問い詰められ、「本当はもらっている事」を打ち明けたのだと思います。その後の展開は想像通り、悪い事をする子は鬼の部屋に閉じ込めるという事で、鬼の部屋で多大なる恐怖を経験することになりました。この経験から「嘘はばれる。嘘をついたらいけないんだ。」という事を学びました。
鬼父ちゃん❺ 富士山登るなら何が起きても頂上行くぞ父ちゃん
最後の思い出は自分が小学生の時です。父親と富士山を頂上まで登ってご来光を見るという目標を立てて挑んだ登山ですが、案の定高山病で私が途中で弱音を吐いたのを覚えています。その際父親から言われたのは「降りるという選択肢はない」という事です。私はここで「絶対に戻らせてくれない」事を悟ったのだと思います。結局、涙と鼻水ダラダラで頂上まで行けたと聞きましたが、肝心な自分は疲れ果てて寝てしまい、ご来光を見る事は出来ませんでした(笑)ただ頂上での写真が残っていて、今でも大切な思い出です。この経験から私は「人は簡単には死なない」事を知りました。
まとめ
当時は本当に「鬼」としか思っていませんでしたが、今思うと本当に時間を使ってくれていたんだと、改めて感謝の気持ちが沸いてきました。もし自分も親になったとしたら、きっと必死でこんな戦略的に考えている暇もなく、ひたすら目の前で起こる事に必死になって対応していくのだと思いますが、もし私の親も同じ状況だったのであれば、きっと自分も同じように必死にいつの間にか「鬼」になりながらも、沢山の愛情を与えたいと思います。
最後に
年末年始に実家へ帰省した際、父親が定年するときに車をプレゼントすると約束をしてきました。その時は自分の好きなものを楽しそうに語る姿をみてその場で決断したことで有りますが、このように色々振り返ってみると小さい事の積み重ねが感謝となって心の底に残っているのだと実感します。
2032年、父親の定年に車をプレゼントすることを約束して来ました。昔から車好きで家で使っている椅子も、スポーツカーのシートを改造したものです。Twitterの目的は情報発信。結果的に収入源になれば嬉しいですが、そこは本業を100倍必死に頑張ります。毎日積み上げて、絶対に親父の夢、叶えてやる。
— 佐々木太一@会社経営と社会人学生 (@Taichi_Sasaki_) January 1, 2021
尊敬できる父親の背中を追いながら、仕事でもこれから持つ家庭でも、自分の役割をしっかり果たせるようにまだまだ学び続けます。最後までお読み頂き、ありがとうございました。