はじめに
第十回『「論語」振り返り』の記事です。全部で20章ある本書は、それぞれ別の弟子が記録した先生の言葉や振る舞いが掲載されており、同じ内容を別の視点から書かれていたりもします。先生本人が著するよりも弟子が弟子の言葉で残しているからこそ、我々読者も分かりやすく言葉を受け取る事が出来ます。
本記事の内容
『現代語訳 論語』と『論語コンプリート/野中根太郎/成文堂新光社』の2冊を読み比べつ形で進んでいきます。先生の言葉を弟子が書き、それをまた訳者が言葉を変えているとなると、先生の意図通りに伝わっていないという事があると考えます。なのでこういった本を読む時最終的に大事なのは「自分がどう解釈するか」という点で、正解と不正解は先生しか分かりません。一つの本で完結してしまうと考えが偏ってしまうので、本記事は2つの本を読み比べながら書くようにしています。
「現代語訳 論語」からの引用
P159「有名になりたいと思っている子張が、「士人はどのようであれば<達>と言えるのでしょうか。」とおたずねすると、先生は、「どういう意味かね、おまえの<達>というのは。」と言われた。
子張が、「君主(国)に仕えても、卿や大夫の家に仕えても、高い評判が立つという意味です。」とお答えすると、先生はこういわれた。
「それは、有名だが中身のない<聞>ということで、中身のある名声の<達>ではない。<達なるもの>とは、正直で正義を愛し、人の言葉の奥をよみ取り、人の表情から真意を見抜き、配慮して控えめにしている者だ。その結果として、国に仕えても大夫の家に仕えても、自然に高い評判が立つということだ。これに対して、<聞なる者>とは、うわべは仁があるようにしているが行いがともなわず、そんな実のないあり方に安住しているくせに、評判だけは良くするようにしている者だ。(おまえは実行のともなわない評判を追い求める<聞>なる者では無く、まず実行し自然に評判の上がる<達>なる者を目指しなさい。)
先生が達について話している一文。高い評判が立つという点においては<聞>であり、本人がどのように振る舞うかといういわゆる成果的な視点。達は成果よりまずは結果を残し、自然と評判が上がる者と解釈しています。
仕事においても全く同じで「求められていることが果たせない」という点は恐怖を感じる必要があり、逆にそれだけ行えば自然と評判は上がります。評判を気にする必要が無く、求められているところを改善する事に全集中するべきという事ですね。
P160「樊遅が<仁>とは何でしょうかとおたずねすると、先生は、「人を愛することだ。」と言われた。<知>をおたずねすると、「人を知ることだ。」といわれた。樊遅は、まだよくわからない様子だったので、先生はこう言われた。「心のまっすぐなものを、心の曲がった者の上におけば、曲がった者がまっすぐになる、ということだよ。」
それでも理解できなかった樊遅は、先生の前を退いてから、子夏にたずねた。「先ほど先生に知をおたずねしたろころ、『心のまっすぐな者を、心の曲がった者の上におけば、曲がった者がまっすぐになる』と言われました。これはどういう意味でしょうか?
子夏はこういった。「それは素晴らしいお言葉だな。聖人の舜が天子となったとき、多くの臣下の中から、人格の優れた皐陶を抜粋して任用したので、人格者でない不仁な者どもは遠ざかった。殷王朝を開いた聖王の湯が天子となったときも、多くの臣下の中から、人格者の伊尹を抜粋したので、仁でない者は遠ざかってしまったのだ。」
私の解釈と訳者2名の解約が相違した文章。私の場合「見習って変わる」という意味で捉えましたが、語訳の方では「入れ替わる」という点に重きを置いています。つまり最終的に言いたいことは同じで、時間が立てばよい人の集まりに変わるという点。当然良い方向に導きながらも、必要な期日に合わせて入れ替えを行う事も選択肢の一つと言う意味で捉えています。
P161「子頁が友人との交わり方についておたずねした。先生はいわれた。「友人がもし悪い方に行きそうだと思ったときは、まごころを尽くして忠告し、善の道へと導くべきだが、それでも聞き入れなければ、それ以上は辞めておくほうがいい。無理をしてかえって誤解され、自分が恥をかくようなことが無いようにしなさい。」
昔も今も変わらないのは「他人は変えられない」という真理。こちらがいくら信じて願ったとしても、結局人は変わらない事がある。沢山の人をマネジメントしてきた経験からも、全く同じことを感じています。そもそも道を外れた行動をとる人は心の底に<仁>がないものであり、これから付けていくとなると相当な時間がかかります。本人が強く変わりたいと思わない限り、変えられない理由がここにあります。
P163「子路が政治についておたずねした。先生は、「民に率先し、民をねぎらうことだ。」と言われた。子路がもう少し詳しく説明を、とお願いすると、「倦まず、たゆまず行うように。」と言われた。」
先生が政治について話した言葉。民のためになる事を率先して行い、民のお手本になる事、そして「倦まず、たゆまず」飽きることなく、これを長く続けること。当たり前の事でもなかなか出来ている人が少ないのが事実。我々で言えば職場のマネジメントで実践出来ているかどうか。こういった振り返りの機会に、毎回状態を再確認し、自分の行動を改めていこうと思います。
P167「元来、詩は政治にも通じるものだ。しかし、『詩経』の詩を三百篇暗唱していたとしても、内政を担当させても事を達成できず、外交をまかせても相手とわたり合えないのでは、どれほど覚えていても、それは死んだ知識であり、取るに足らない。」
詩について先生が述べている一文。昔で言う詩経をビジネス書に置き換えると分かりやすい。詩経(Why)とビジネス書(How)なので、より実践が簡単なはずですが、それ通りに行っている人が多いかと言うと疑問。私自身も学びを全て実行に移せているかと考えると、至らないところが多いです。
最後に
一回に付き5文、これからも論語の振り返りを行って、自分に落とし込んで行けるように精進します。第十回までお付き合いいただきありがとうございました。これからもずっと復習と発信を続けていきます!
本日も、最後までお読み頂き、ありがとうございました!