佐々木ライフハック ~犬のように生きる~

一途に学び、働き、遊ぶ。そんな社会人学生の日常を綴ります。

「論語」振り返りvol.1 ー 日々の学びと復習に

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はじめに

年間100冊の本を読みながら、それとは別に定期的に読み返している本がいくつかあります。その中でも最も読み返している本が「現代語訳 論語/齋藤孝ちくま文庫)」です。この本は孔子の部下が書いた論語を現代でも読みやすい形に語訳しているもので、初めて読んだ際もとても馴染みやすく、いくつか読んだことのある論語の本で最も実行に移しやすかったのを覚えています。

 

本記事の内容

定期的に読み返す際、特に記憶に残ったもの、また重要だと思いだした文章を毎回列挙しながら紹介して行こうと思います。この本は誰でも一度は読んだ方が良いと思うので、一番下に商品リンクも共有させて頂きます。もしお読みになった事が無い方は、ぜひお手に取って見て下さい。日々努力をする必要性や人間力の向上にお役に立てる事間違いなしです。

 

「現代語訳 論語」からの引用

P12「口ばかりうまく外見を飾る者には、ほとんど<仁>はないものだ。」

ストレートに解釈をすれば、書いてあるそのままの意味ですが、仕事に置き換えてみると更に気付きがあります。外見を飾る⇒成果を良くするという定義にしたときに、報告会やプレゼンテーションは人一倍作り込んではいるものの、完全な結果は100%に満たないというビジネスパーソンを何人も見てきました。

反面教師、それで私が一番気を付けている事は”見栄え”の部分は程々にしておいて、結果は必ず100%を超えるように業務を遂行する事です。成果を良く見せる事で自分にプレッシャーをかける場面も存在するものの、それは本当に必要な時(特に繁忙期等、大勝が見込めている時等)だけに収め、普段は確実に実行できる数字で右肩上がりで数字を管理するようにしています。

最上位は大きなことを目標とし、発表し、実際に達成させてくる人。こういった人が居ればぜひ、その心意気を学ばせて頂きたいものです。

 

P29「人として生きていくのに、言行が一致する<信>の徳がなければうまくやっていくことはできない。牛馬と車をつなぐものがなければ車はうまく動かないように、自分と人をつなぐ信がなければ、何事もやっていけない。」

私の座右の銘の一つ「言行一致」を初めて知った一説。「信用」という言葉の定義を「言っている事と行っていることが一致している」 と理解したのも本書を読んでいるときです。

社内外問わず仕事のベースには信用があり、土台の上にやり取りや取引が行われます。つまり我々が何かを成し遂げようとしているのであれば、まずは自分の言動を一致させ、周りから信用を得る必要があるという事を再認識させてくれる一文です。

 

P34「君子と言われる人格者は、人と争うことはない。あるとすれば、弓を射る儀礼のときくらいだ。相手ときちんとあいさつを交わし譲り合って、堂に昇り降る。競技後は、勝者が敗者に罰として酒を飲ませる。この争いはどこまでも礼儀正しく、君子的である。」

「嫌われる勇気」の中でもあった『共同体感覚』 に近い意味合いと考えている一文です。他社などの強豪と比較し競い合う事で経済が発展してきたことから、競争は必要で積極的に仕掛けていくべきという事は大前提。ただその前の更に前提条件に、お互いが生存し合い、切磋琢磨を繰り返してく関係ー「7つの習慣」でいう『相互依存』の状態ーである事を念頭に置き、時には競い、時には助け合う事が必要な事を再認識させてくれる一文。

特にライバルとの競い合いで、もし仮に負けたとしてもお互い成長し、相手を尊重し合えるからこそ、更に高い次元での新たな競争を経験することが出来ます。

 

P39「私が当然なすべき<礼>を尽くしてつかえると、人はへつらいだと言う。(それほど礼が廃れたのはなげかわしいことだ。)」

本気で正しく生きる事を決めてから感じる事が多くなりました。「凄い」や「異常」という言葉で表現されることが多いですが、私の場合は上司に対する忠誠心の度合いで言われます。

当然それ以上に両親や家族へ向けた忠誠は強いものがあり職場における忠誠は最高値では無いのですが、周囲からすれば異常値のようです。部下などが何か気を使ってくれたりささやかな気遣いをしてくれた時は、”素直に”「ありがとう」が発せられるように心がけています。

※別の言葉で「忠誠の真意を探る」旨の言葉があり、それはまた別の機会に紹介させて頂ければと思います。 

 

P45「本気で<仁>の徳を身につけようと志す者は、けっして悪をなすことはない。」

ある意味釘を刺すような一文です。「長い人生、これから先、道を外すな」という意味に捉えます。 論語中でも”煩悩の扱い”について触れられている箇所もあり、「煩悩をどう無くすか」では無く「煩悩をどう扱うか」が仁を決めるという意味に見えます。

思考と行動はリンクしていても、刺激に対して反応的に従うのか、それとも自覚して従わないかは全て自分次第。大学でも提示されているように、正に生涯学習ですね。自分も長い年月が過ぎた後に、自信を持ってこれを伝えられるように努力して行きます。

 

最後に

今回挙げさせて頂いた5つは極々一部分に過ぎず、論語を読み返すべき理由を説明するには大きく不足しています。ただ一方で、自分自身5つでさえ完全に実践できている訳では無いので、このペースで長きにわたって本書を紹介していけたら幸いです。

それでは本日も、最後までお読み頂きありがとうございました。こちらの記事は定期的に、結構長く続けていきますので、これからも宜しくお願い致します。